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本当の国際化とは(その1)

 一時、流行語にもなった「国際化」とは本来何を意味するのだろう。海外で活動をしていると良く「貴方は国際人ですね」と言われるが、自ら国際人を意識したことが無い。まして日に日に「日本人とは」という思いが強くなる。
 海外では良く「日本の歌を歌って下さい」とか「日本人としてこの事についてどう思いますか」と聞かれますが、筆者は空で歌える日本の曲は一曲も知らず、日本の踊りも何もできない。日本人としてどう思うかと聞かれても「個人的には・・・」として意見を述べるようにしている。

 日本人論はいろいろなところで展開されているが、筆者は経験上、日本人は順応性が高い民族ではないかと考えている。与えられた情況に柔軟に対応し、その状況に適応しようとするその気持ちが強いのではないか?
 特に海外で朝食を取る場面を想定しよう。多くの国で見かけた光景だが、ホテルのレストランで多くの西洋系の外国人はパン、紅茶、オムレツという彼らの定番の朝食を食べている。ブータンの山中のトレッキングに言ったときでさえそうである。自分たちの生活スタイルを崩そうとせず、ある意味押し通す。
 しかし、多くの日本人旅行者は、その現地の朝食を食べようとしている。インドならナンとカレー、中国ならお粥に揚げパンなどなど、おいしそうに食べている人が多い。決して「ご飯に味噌汁、納豆が無ければ駄目」なんてごねる人は居ない。これは日本人の良さだと筆者は思っている。

 近年、日本で沖縄の文化が流行になっている。沖縄出身の歌手の音楽や、沖縄の伝統的な食事が「健康食」としてマスコミに取り上げられ、沖縄に対する関心が日本中に高まり、それは単なるブームの枠を越え、今やこれぞ日本のアジアンテイストの文化として多くの人に受け入れられている。

 オリジナリティが無いとの批判もあるが、基本的に日本人は多くのものを受け入れ、それを自国の文化にアレンジし、取り入れることが上手な民族だと考えている。それは「お互いの文化を尊重し理解しようと試みる」事を国際化の定義だとしたら、日本人の多くは既に国際人の素質があると思える。
 筆者は心理学に興味がありいろいろと文献を読んでいるのだが、「心の障壁」という観点から考えると、多くの物事は人間の心にとって、受け入れるより否定する方が楽だそうです。新しい物事を受け入れる気持ちは育てないと育まれない感情で、年齢と共に否定から入る方が一般的である。

 現代の日本人はその障壁が非常に低いのではないかとの意見もあるが、それは早計だと筆者は考えている。その理由は次回のコラムに書きたいと思う。

 

文責 平山修一

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