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深い悲しみ
40歳を前にして思うことがある。最近「怒り」の感情があまり沸き起こらないのである。しかし、その代わりに「深い悲しみ」を感じるようになった。これは年齢に伴うものなのか、それとも長期に渡る海外での援助活動によって自分の心に変化があったのか・・・。それとも自分の心が傷つかないように条件反射的に自分の心が、怒りによって傷つかないように「悲しい」といった自己消化的な感情・態度を反射的に取るようになってしまったのか、こればかりは自分でも分からない。
チベット仏教ではこのような感情が起こるのは極自然なことで、大切なのはその感情に心が支配されないことだと説いている。「昇華することなく、湧き上がる感情をまるで川に流すごとく流しさる。もしくは自然に静まるまで待つのです。理由は考えてはいけません」これはブータンの高僧が筆者に言った事である。感情の理由を考えず、それに囚われない事が大事・・・言葉では分かっているもののいざ実践となると難しい。
人の性といいますか現状に満足できない人は多いのではないか。もっとこうできないか、もっと欲しい、もっと新しいものを・・・この欲求は向上心と結びつけば非常に重要なものだと思える。しかし、この欲求が膨らめば膨らむほど、満足と言う感覚は得られにくい。
こうして日常生活の中でふとひと息ついたときにいろいろな葛藤に苛まれる。日常が忙しければ忙しいほどこうした事は忘れがちである。しかし、それは問題が現在表面化していないだけで、そのジレンマは日に日に深い悲しみになっていく。
文責 平山修一 |
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