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日本向け GNH

 ブータン王国で独自の政策を展開しているのは有名な話である。民族衣装着用義務,外国人の入国制限,ゾンカの普及推進,森林伐採規制,タバコ販売禁止。これらは殆ど自国のアイデンティティーを守る為,持続可能な内的発展の為に行っているのである。

 最近,“内的発展”をキーワードに本を読みあさる内,一つの本にたどり着いた。新渡戸稲造が1899年(明治38年)に著述した「武士道」。日露戦争よりも前,日本社会に軍国主義がはびこる以前に書かれた本である。その一節に「武士道はその表徴たる桜花と同じく,日本に固有の花である」と。

 現代日本における有形の文化財が中国などからの伝来した文化継承を日本式に改良した物と違い,無形である「武士道」の精神は新渡戸が「武士道」の中で触れているように日本古来の精神といえよう。新渡戸の執筆から既に一世紀以上経った現在において,日本古来の「武士道」の考え方は非常に新鮮に筆者には感じられる。

 武士道とGNHを比較すると大きな共通点が見出せる。それは“持続可能な内的発展”という考え方である。武士中心の社会は少なく見積もっても,過去700年以上に渡って発展を続けてきたと考えられる。筆者は思うに,武士道精神が無ければこれ程までに長期間の持続的発展は有り得なかったと考えている。現代日本が“持続可能な内的発展”を目指す中で,過去にこれほどまで長期間に渡って持続可能な内的発展が既に日本国内にてあった事は誠に驚きである。長期間にわたって発展可能であった武士道精神を日本人のアイデンティティーとして研究し,「日本向けGNH」と名付けたい気持ちである。

 フランスの経済学者シェイソン氏の計算したところによると「各人は,その血管の中に少なくとも西暦一千年に生きていた二千万人の血液を持っている」という(新渡戸稲造著(1899),矢内原忠雄訳(1938) 武士道 岩波文庫より一部引用)。その実例として思い付いたのが現代の我々もお正月にはお節料理を食べ,春になれば桜の花見をし,人と会えばお辞儀をして挨拶をするといった武士中心社会であった江戸時代に暮らしていた人々の習慣が残っている。“お辞儀をして挨拶をする”という武士の習慣も部分的に受け継がれているならば,現在の日本においても武士道の考え方,精神はまだ生きているのではなかろうか。であるならば「日本向けGNH」という考えも実現可能であろう。今後,数回に渡って武士道の「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己」,それぞれについて考察を行っていきたいと思う。

 

文責 瀬畑陽介

参考文献  新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年

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