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私的ボランティア論

 「ボランティアとは、理解すること。少しだけ分けること。そして、自分が一生懸命に生きること」この言葉は池間哲郎さんという「NGO沖縄アジアチャイルドサポート」を主催されている方がその著書『あなたの夢はなんですか? 私の夢は大人になるまで生きることです。』(致知出版)でお書きになっている言葉です。
 今では海外で活動すること自体が自分の仕事となっているので、ボランティア精神を掲げてこの業界に入った身としては、耳が痛い話しです。しかし、その精神はどの立場にいようとも忘れてはいけないと思っています。

 筆者にとってのボランティアとの出会いは筆者が青年海外協力隊に参加したのが実質的にはじめてであったと思います。青年海外協力隊は海外ボランティアの代表格のように思われていますが、それには筆者は異論を持っています。
 これには異論のある方も多いと思いますが、基本的に協力隊は二国間条約に基付いた「技術協力提携」であり、ボランティアをするというよりも現地政府、もしくは現地機関の一員となって「仕事をしに行く」活動だからです。

 日本ではボランティアの定義自体確立しておらず、その中でこうした議論をすること自体意味が無い行為に思われがちですが、欧米では一般的に有償・無償を問わず、自分の時間や技術、ノウハウを提供して、行動することをボランティアと定義しています。
 この観点から言うと協力隊事業も海外援助に関わる自身の活動もボランティアの延長線上にあると思います。しかし、日本の従来の考え方では無償で自身の労働を提供する行為をボランティア行為と定義つけていた気がします。
 なかなか海外でのODA事業に携わっていますとこのボランティアという言葉が独り歩きをしており、各人がその意味を勝手に捕らえ、勝手に自分の都合の良いように解釈しておる場合が多く、関係者の間で議論になります。

 技術協力の契約で派遣されているにも拘らず「ボランティアだから自分の行きたいときに出勤すれば良い」とか「どうせノルマ無いし、時間をつぶすのは難しいから今日は帰る」という人達も少なくありません。海外で活動がうまく行かないケースが多く、心情的には理解できなくはありません。しかし、それは許されるものではありません。なぜなら契約違反だからです。
 ではボランティアなら許されるのでしょうか?先述の池間氏の言葉の中には「自分が一生懸命に生きること」とあります。私はこの意見に賛成です。自分を大切にしなくて、自分が一生懸命でないのに誰がその人を評価し付いていくでしょうか?

 ボランティアとは、、、自分の中でもまだこれと言う定義が出来ません。しかし、少なくとも今は先述の池間氏の言葉を胸に、謙虚であることを目標としています。仕事とボランティアの間でこれからも悩むのでしょうね。

 

文責 平山修一

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