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見失ったもの・・・・「鉄道事故を通して」
先日の鉄道事故には考えさせられる。とうのも2005年5月5日現在、事故にあった車両にたまたま2名の通勤途中の乗務員が乗り合わせており、その乗務員が「乗客の救出をしなかった」ことを毎日のようにマスコミが糾弾している。
彼らの取った行動の道義上、いい悪いという判断は抜きにして、彼らは会社の上司の判断において、自分の「今日の鉄道マンとしての仕事」に対して責任を持っただけなのではなかろうか?言い換えれば「会社員としての立場」を守る為、何か大事なものが麻痺していたのではなかろうか。しかし彼らがもしそのまま救出活動を断行していたなら会社はそれを「良し」としたのであろうか?筆者にはそう思えないのである。
そんな筆者も苦い経験がある。それは日夜業務に追われていて余裕のない時期でもあった。その日はどうしても外せない仕事上の打ち合わせがあり、会社への通勤を急いでいた。そんな状況の時に、その通勤電車内で近くに居た女性が急に倒れたのである。
現在のJR西日本バッシングはある程度仕方ないと思う。しかし、同乗していたJR社員へのバッシングはどうかと考える。彼らも被害者であることを忘れてはいけない。 最後に被害者の方の無念を思うと本当に心が痛む。友人、家族を突然亡くされた方々のショックは我々第三者にははかりしえないものであろう。二度とこんな事故が起こらないで欲しいと切に思う。
文責 平山修一 |
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