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季節外れのサンタクロース

 「季節はずれのサンタクロース」というタイトルは少し変わっているとお思いでしょうが、この語句は先日、私の信頼している人から頂いたメールの一文にあった言葉です。そしてこの国で援助関係者として仕事に携わっている私にとって重い命題でもあります。

 最近、途上国の人達にとって援助関係者としてその国に滞在する外国人と交流を深める理由は何なのだろうと考えました。そして自分なりの仮説を思いついたのです。彼らにとってのメリットは、その外国人がもたらす知識のみならず、その圧倒的な経済力なのではないのだろうかと。経済力とは現地でもらっている手当てのみならず、その人が赴任の時点で持ち込む物品をも含めてです。もちろん世の中そういう人ばかりでは無い事は承知の上ですが、そういう側面は否定できないのです。
 そしてその国にとって通常もたらされることの無い(例えば通常一月分の給料を一晩で使ってしまう)益を、自分に対してもたらせてくれる存在であることを期待してしまう。つまり彼らにとって私は季節外れのサンタクロース予備軍に過ぎないのではないかと言う事です。

 もちろん技術移転を第一とする協力隊理念を踏襲しているので、そういったネガティブな事を常日頃から考えているわけではないのですが、ここブータンでは日常のちょっとした事でもその事を思い起こさせる機会が多いのが現実です。
 例を挙げますと、同じ職場の日本人援助関係者があと数ヶ月で帰国となります。今、職場の同僚たちはこぞって彼の持ち物の購入予約に躍起です。パソコンは元より、TVや冷蔵庫、食器や衣服まで。。。ある意味ブータンで購入した大型電化製品などは日本に持ち帰ることは無いので、現地で売って帰国するのが通例です。
 特にブータンでは一般人が外国製品を輸入する際に約40%の関税がかかるため、無税で購入することが出来、しかも現地人より清潔に使用される外国人援助関係者の中古電化製品は高値で取引されるケースが多いのです。

 車を例に取ると、新車を現地人が購入する金額と同じ金額で、外国人が2年間使用した中古車が取引されるのです。しかも外国人が購入する車は輸出仕様で品質が明らかに違うのです。(外国人は米ドルで購入し、現地人は現地通貨で購入しているという違いはあります)その理由の一つに外国輸入品の多くがインド製で、新品で購入しても不良品率が一説に寄れば3割といわれているインド製のこと、>2年間ちゃんと動く電化製品は貴重なのだそうです。
 しかも外国人は中古の相場を知らない事と、物をただ同然で売ることが良いことであるかのごとく振舞う人が多いのです。どちらにしても帰国の際、職場の同僚たちのすべてとは言いませんが、多くの人達は待ちに待ったサンタさんの放出品を求めるのです。ハイクラスのブータン人は別ですが、庶民にとって外国人の知り合いは「サンタ予備軍」です。
 このサンタ予備軍を目的として近づいてくる人と、純粋に一対一の人として付き合っていこうと考えてくれる人との間には大きな違いがあります。自分の身近にいる後者の人を大事にしていくのは当然のことですが、前者の人達ともうまく関係を保たないと仕事がうまく進みません。途上国ではこの事は一般的なのかもしれませんがとてもタフな事です。
 例えば、ものを大量に無償援助で入れた援助関係者と、ソフト面の改善に大きく寄与した関係者では、ブータン政府の評価は分かれます。もちろん多くの途上国では物資が不足しており、多くの物資を必要としている国があることは否定しません。

 多くの省庁はセクショナリズムの横行のせいか、未だに自分の部署に多くの物資を供給してくれた人を高く評価します。他の部署に同じ機械が埃をかぶっている状況にもかかわらずに。私には各部署はいかに多くの金額の援助を獲得したかを競っているようにも見受けられます。そういった職場でお金を使わずに評価を得ることは大変なことです。
 ものをただで配ることは簡単なことです。でもそのことは一時的に現地の人に喜ばれるでしょうが、本当の意味で役に立っているのでしょうか。途上国の人達に多くの選択肢や情報を与えることの方が大事なことだと思います。

 人間は物や金の為よりも、自分が肯定され、そして夢のある生活をする方を望んでいるのではないでしょうか。私は少なくとも「ものを大量に配るサンタクロース」にならずに「個人に夢や可能性を与えることが出来るサンタクロース」になりたいと思っています。
 今は途上国の人を例に挙げているので、こういった事は如何にも途上国のみで起こり得る事と勘違いしがちですが、そうとは限らないでしょう。

 「人間というのは、絶えず他人と自分をいろいろな角度から比較して、安心したり、不安を感じたりしながら、生きているものではないでしょうか。また、それと意識しなくても、いろんな風に、他人を利用したり、利用されながら、生きていかなければならないのではないでしょうか。」私のメール友達から送られてきた文章ですが、納得させられます。

 こう要った感情は大なり小なり誰しも持っていると思います。ただ途上国の人の方がストレートな場合、それが目に付くだけなのでしょう。ある種、このような感情と付き合わないと、これを乗り越えた関係にならないのでしょうね。

 

文責 平山修一

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