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季節外れのサンタクロース
「季節はずれのサンタクロース」というタイトルは少し変わっているとお思いでしょうが、この語句は先日、私の信頼している人から頂いたメールの一文にあった言葉です。そしてこの国で援助関係者として仕事に携わっている私にとって重い命題でもあります。
最近、途上国の人達にとって援助関係者としてその国に滞在する外国人と交流を深める理由は何なのだろうと考えました。そして自分なりの仮説を思いついたのです。彼らにとってのメリットは、その外国人がもたらす知識のみならず、その圧倒的な経済力なのではないのだろうかと。経済力とは現地でもらっている手当てのみならず、その人が赴任の時点で持ち込む物品をも含めてです。もちろん世の中そういう人ばかりでは無い事は承知の上ですが、そういう側面は否定できないのです。
もちろん技術移転を第一とする協力隊理念を踏襲しているので、そういったネガティブな事を常日頃から考えているわけではないのですが、ここブータンでは日常のちょっとした事でもその事を思い起こさせる機会が多いのが現実です。
車を例に取ると、新車を現地人が購入する金額と同じ金額で、外国人が2年間使用した中古車が取引されるのです。しかも外国人が購入する車は輸出仕様で品質が明らかに違うのです。(外国人は米ドルで購入し、現地人は現地通貨で購入しているという違いはあります)その理由の一つに外国輸入品の多くがインド製で、新品で購入しても不良品率が一説に寄れば3割といわれているインド製のこと、>2年間ちゃんと動く電化製品は貴重なのだそうです。
多くの省庁はセクショナリズムの横行のせいか、未だに自分の部署に多くの物資を供給してくれた人を高く評価します。他の部署に同じ機械が埃をかぶっている状況にもかかわらずに。私には各部署はいかに多くの金額の援助を獲得したかを競っているようにも見受けられます。そういった職場でお金を使わずに評価を得ることは大変なことです。
人間は物や金の為よりも、自分が肯定され、そして夢のある生活をする方を望んでいるのではないでしょうか。私は少なくとも「ものを大量に配るサンタクロース」にならずに「個人に夢や可能性を与えることが出来るサンタクロース」になりたいと思っています。
「人間というのは、絶えず他人と自分をいろいろな角度から比較して、安心したり、不安を感じたりしながら、生きているものではないでしょうか。また、それと意識しなくても、いろんな風に、他人を利用したり、利用されながら、生きていかなければならないのではないでしょうか。」私のメール友達から送られてきた文章ですが、納得させられます。 こう要った感情は大なり小なり誰しも持っていると思います。ただ途上国の人の方がストレートな場合、それが目に付くだけなのでしょう。ある種、このような感情と付き合わないと、これを乗り越えた関係にならないのでしょうね。
文責 平山修一 |
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