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コンピュータ社会を考える

 近年,特異な犯罪発生が目立って増えているように感じる。その多くが未成年による犯罪である。2004年6月>1日に長崎県佐世保市の小学校にて6年生の児童が,友達の首を切りつけて死亡させてしまった事件(長崎・小6女児殺害事件)が発生した。事の発端はInternet上にて相手を中傷した事である。また,2005年2月>14日に>17歳の少年が母校の小学校にて教職員>3人を殺傷する事件(寝屋川・教師殺傷事件)を起こしている。アメリカ・アラバマ州でも警察官を3人殺害した16歳の少年は,ゲームに触発されて犯行に及んだという。

 一昔前では考えられなかったような事件が起きるようになっている。これらの事件は,いずれも殺傷という取り返しのつかない事をしている。コンピュータの世界とは違って,リセットが出来ないにも関わらず…。これらの事件に関わった人々がゲームやコンピュータやゲームに没頭している旨が度々報道されているようだが,現時点ではゲーム等との因果関係は十分に証明されていない。しかし,彼らの行動はコンピュータ世界と類似した部分を感じる。「コンピュータ世界では,いつでもリセット(やり直し)が出来てしまう」

 コンピュータ世界と現実の世界を対比させた時,「ソフトウェア」を現実の「環境」,「ハード」を現実の「個」とした時,現実の世界とコンピュータ世界をそのまま置き換える事が出来る。それはつまり,コンピュータの世界にも仮想的な社会が広がっているといえないだろうか。しかし,コンピュータ社会には法律もなければ,モラルも個人任せ。もちろん,電源を切ればすべては元通りになる。言論,表現,行動などが自由である。現実の社会,日本では憲法によって“言論の自由,表現の自由”が保証されているにも関わらず法律が存在する。つまり,現実の自由社会であっても法律は存在している。同じ自由社会であるコンピュータ社会にも法律は必要ではないだろうか。法律のない現状では,行き過ぎた自由社会と言えよう。

 寝屋川事件のあった大阪府は残虐ゲームソフトに対して規制を検討している。同様の事を神奈川県でも検討している。アメリカ・アーカンソー州では暴力的ゲームの販売・レンタルを制限する法案を議会に提出。同様の動きが米国各州にて広まっている。今後,こういった動きは止まらないであろう。

 コンピュータが家庭に普及し始めてから,僅か15年程で生活にはなくてはならない物へとなってしまった。もはや生活には不可欠といえよう。コンピュータが近年多く発生している特異な犯罪に関係している事が十分に証明されていなくとも,ある程度の法整備などが必要であろう。今後,数回にわたってコラムのコーナーにてコンピュータのたどってきた今までの奇跡を確認し,今後進むべく方向性をGNH的な観点にて考え,どのような規制が望ましいかを研究してみたい。

 

文責 瀬畑陽介

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