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日本人であることのシアワセ

シデ・ブータンがコーディネート、上野一家が出演というテレビ西日本制作の番組のホームページのお知らせです。表紙の写真は、放送日まで日替わりで変わります。放送は2月27日(日)。
http://www.tnc.co.jp/loveasia2/

 一年間NHK大河ドラマなどを中心に突っ走ってきた俳優・山本耕史さんは、上野さんの「ガサに行けば探しているものが見つかるはずです・・・。」という言葉をきっかけにガサ村を目指します。
 俳優としての山本耕史、番組の脚本等は別にして、「ガサの村人が幸せなのかどうか、本当のところは自分にはわからないと思う。ブータンの人が世界で一番幸せだと言っているのは、たぶん外国人でしょう。自分はただガサに上って、そこにあるものを、巻き込まれずに、そのまま見てみたい。」というトレック前の彼の生の言葉は大変印象的でした。

 「日本が失ってしまったもの=何か大切なもの≒幸せ」という図式は単純ですが、番組のテーマでもあるそれと、あえて距離をおいて、自分の感性で本当のブータンを感じたいというところに、人間・山本耕史の誠実さを感じました。
 このブータン編は「LOVE ASIA」3部作の第二部にあたるのですが、第一部のインドネシア編の監督である瀬木直貴監督が『幸せの尺度』というコラムを「LOVE ASIA」のホームページに書いています。
 監督は日本とインドネシアの『幸せの尺度』は異なると断言しています。確かに、その国ごとの『幸せの尺度』が存在することは、ブータン生活経験のある私達には自明の理です。でもそれ以前に、その人ごとの『幸せの尺度』が存在することは、東京に降り立って「やれやれ、やっときれいなトイレで用がたせる。」とほっとする人達も多いことでわかります。瀬木監督は東京に降り立ってまず、インドネシアの人々が懐かしくなったわけですが。わが社のお客様の中には「ブータンは移住したいくらい好きだけど、あの食事だけは・・・。」とおっしゃる方もあります。つまり『幸せ』を形成する要素は実にいろいろとあるわけです。そして、個人個人がどれを最優先するかで『幸せの尺度』の異なる場所を、それぞれの生きるべき空間として選択することが可能であるなら“世界で一番幸せなワタシ”として人生を過ごすことができるのではないかと思えてきます。しかし、そうなると選択肢の限られている現在のブータンの人達は、本当の意味で幸せではないということになるのでしょうか。彼らが幸せそうに見えるのは、いろいろの選択肢をも、見たことがないからなのでしょうか。
 こういう選択肢の豊富さから考えると、我が祖国日本はなかなかいいセンいっています。

 私自身、美大を卒業してデザイン会社に勤務、その後、看護学校に入りなおしてナースになって病院勤め、そして今ブータンの連れ合いとともにこの国に暮らしています。しかし、ブータンの人達には私のようなチョイスはなかなかないわけです。一旦専攻を決めたら、まず変更は出来ない、やり直しのきかない教育システムが、彼らの前に大きく立ちはだかります。また、どの階級のどの家に生まれるか、加えてどの地域に生まれるかで、人生のほぼ半分は決まってしまうのが階級社会ブータンの現実でもあります。
 年老いた両親を日本に残しているということを別にすれば、私は日本でよりブータンでの人生の方が『幸せ』と感じています。私には、世間の流行や美味しくておしゃれなレストランでの食事、清潔な生活空間は、人生の上であまり重要ではなかったわけです。しかしそこには、私が日本人で、ブータン生活をわりと気軽に選ぶことができたという大前提があります。ブータン人には日本暮らしは簡単には選べない。だいたい、ビザ取得さえ簡単ではありません。もしかしたら日本で生きる方が幸せだと感じるブータン人がいるかもしれないのに。

 日本人は自分がシアワセと感じる国や地域に、ほぼ自由に移動できる。つまりシアワセの形をあれこれと選ぶことができる。これは、ブータンに暮らしてみてはじめてわかった『日本人であることのシアワセ』の一つです。

 

文責 青木薫

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