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日本と近隣アジア諸国の戦後の関係について

 第二次世界大戦後連合国の占領下におかれていた我が国は1951年のサンフランシスコ講和条約を受け入れる事によって西側陣営の一員としての独立国としての地位を確立した。それによってやっと戦後の近隣アジア諸国との関係も戦後賠償責任と言う足枷付きであるが始まった。

 しかし戦争の被害者側である諸国との感情的なもつれなどから本来アジア諸国との繋がりを重視し又、そのような外交政策をもくろんでいた日本であったが大東亜共栄圏を唱導した経験を持つ以上、地域統合を積極的に推進すると近隣諸国の反発が予想された為なかなか積極的に国交を結ぶまで時間が掛った。その考え方が近年のアジア諸国に対しての“腰抜け外交>”と揶揄されたことに根本的に繋がっている。

 しかし、占領下におけるアメリカの行った財閥解体や農地改革などの民主化、経済復興政策アドバイス、及び日米安保条約の1960年の改定によりアメリカが日本の防衛に対して責任を負うことに成った事つまり覇権安定論の立場から言えば国際公共財の提供によって(のちには朝鮮戦争特需などもあり)経済成長著しかった日本は、経済成長と相対的不平等を国内の問題として内在はしているもののNIES諸国や中国における>70年代終わり頃からのGDP成長率が世界全体の成長率を上回っている事による購買力平価は日本の経済成長の大きな原動力となった。

 そして日本の経済における影響力は、常にアジア諸国に取っても無視できない存在であり、徐々に経済協力のカードによって各国との関係は徐々に改善されて行ったと考えられる。だが官僚主体の日本の外交政策はアジア諸国にとって不信感がぬぐえず、現在も信頼の置けるパートナーとの位置付けに無いのが現状である。

 今後の関係として考えるべき論点としてドイッチュの提唱した安全保障共同体、相互作用主義(交流主義)理論を参考にして考えると、今の世界の流れとして政治的自由と経済的自由を受容する動きと成ってきており経済の自由は企業に国境を超えた経済活動を促す。

 多くの異なった規制を超えて、今まで以上にアジア地域内で物や資金の流れが増大し、ボーダレス化して行き“我々意識>”をもたらしてくれる事を期待する。そして世界のどの地域よりも多様の文明を抱えているアジアはお互いの文明をありのままに受け入れる関係を樹立し、国家間は元より国家の枠組に縛られない団体や個人の交流活動が活発になることが予防外交の立場からも、相互理解の促進に繋がってくれればと思う。

 近年、文化においても日本のアジア諸国における影響力例えば漫画、キャラクターグッズ、小型電化製品、音楽などには目を見張るものがあり又、日本国内においてもエスニックブームと称するアジア文化の浸透及び一般化が始まってきたと思われる。意外ともう文化的な相互理解は既に身近から始まっているのである。後はお互いにとって正確に相手の情報が伝わるかどうかが相互信頼関係を樹立できるかどうかのポイントとなると言えよう。

 

文責 平山修一

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