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時間にルーズ

2017年03月22日

時間にルーズ

 実習生としてインドネシアから日本に2年間働きに行っていた人がいる。彼はインドネシア国内で日本語を勉強し、日本のビジネスマナーを学び、日本のアニメが好きなごく一般的な男性である。
 その元実習生に「日本での暮らしは如何でしたか?」と聞くと「日本の仕事は始業時間に厳しかった。でも本当につらかったのは終業時間にルーズな事だった」と答えた。
 日本企業は遅刻に対して非常に厳しい。社会生活においても【5分前行動】を取ることが良いこととする慣習があり、遅刻は相手の時間を奪う行為として厳しい批判にさらされることが多い。
 始業時間厳守の反面、終了時間に対しては非常にルーズではないだろうか。近年、大学での講義や一般向けのセミナー等では終了時間を守ることが厳しく求められ、講義の評価基準にもなっているが、一般社会ではまだまだ「終わりの時間」はルーズである。
ここジャカルタでは残業時間に対するインドネシア人スタッフの感覚は日本人とは少し違う。遅刻には寛容な人たちなのだが、残業となると、その笑顔と曖昧さが消え、自分の都合を優先する人が多い。
 彼らの感覚では仕事はあくまでも契約にも基づいて生活資金を稼ぐ場であり、自分の人生のすべてではない。家族を優先し、宗教的な戒律を優先し、自分が属する社会の一員としての活動を優先する。
 時間を切り売りしている以上、サービス残業はもってのほかである。よって一緒に働く日本人は彼らにどう時間内に仕事を依頼し、ノルマをこなすかを考えるようになる。考えるのが面倒だと思う日本人は逆に彼らに依頼すべき仕事まで抱え込んでしまう。
 【始業時間に厳しく全体の時間の使い方はルーズ】、まさに今までの日本を象徴するような言葉である。筆者は終業時間に厳しくなることは、全体の時間をどう使うかを考えるよいきっかけにはなると考えている。
 荒療治かもしれないが今の日本では強制的に退社時間を決めないと、社員や経営者の意識は変わらないであろう。それには日頃から【終わる時間】を意識して、使う時間全体をどうマネージするのかを考える癖をつけることから始めては如何であろうか。
 ルーズな印象のインドネシアの人は時間にはルーズではなかった、この事実をしっかりと受け止め、彼らのようにふるまうも良し、彼らの行動より学ぶも良し。どちらの行動もきっと我々の日常に潜むストレスを緩和してくれると筆者は信じている。

文責 平山 修一

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