<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

若者達の願い

2015年03月15日

若者達の願い

 昨年1月17日に、ブータン日本語学校では第三回目の「日本語スピーチコンテスト」を開催しました。スピーチのテーマは『家族』と『ブータンの魅力』。多くの学生がスピーチのテーマに『家族』を選びました。後でつらつら、これはブータン人にとってど真ん中過ぎるテーマであったと、日本人校長である私は深く反省しました。つまりそのくらい、彼らブータン人にとっては家族とは人生の真ん中、心の中心に位置する存在なのですね。

 さて、当校では10歳~35歳のブータン人が専任日本語教師に日本語を学んでいます。それらの中から原稿審査で選ばれた学生達が、日本語でスピーチを行いました。そのなかでも印象的だったのは、「日本語を学んで、日本語ガイドになって家族を助けたい。」という希望を持つ若者が多かったことです。当校の学生の多くは地方出身で、実家は農業をいとなんでおり、たいていの場合が大家族です。彼らは家族とは一番大切なもの、尊敬しなくてはいけないもの、自分の宝物と、日本語の表現こそいろいろですが、みな「自分にとってかけがえのないもの」という点で共通しています。

 日本語学校で勉強し、日本語ガイドになってお金を稼いで家族に送り、いずれはティンプーに呼び寄せて暮らしたい。自分がガイドとして稼いだお金が家族をシアワセにする。そう信じてまっすぐに突き進む若者達の姿は、それは清清しいものです。実際、地方から出てきて金銭的に苦労をしている学生のほうが、学習意欲も高く努力家でもあります。中には家庭の事情でクラス12を出ていない若者もいるため、そういう学生には夜間学校に通うようにと薦める、いえガイドになりたいという希望を持つ子には、資金援助をして進学を半ば強制しています。というのは今やクラス12を出ていなければガイドになることができないからです。

 学生達が胸をはって語る、家族を支えるという望みはとても素敵なものです。二十歳そこそこの若者が自分のこと以前に、故郷にいる家族の安寧を願う。同じ年のころの自分のことを思い出してみれば、とてもそんな発想などありませんでした。そういう点では、ブータンの若者達の純な家族への思いには胸が震えます。ただ、村での生活から抜け出すことが家族をシアワセにすると信じて疑わない若者のスピーチを聞いてると、どうしてもある種の不安が湧き上がってきて仕方ありません。

それは、突き詰めていくと、つまり今の日本のようなライフスタイルを目指すということなのだろうか、と。

 私自身、地元を出て進学し東京で就職、その生活こそが一番素敵なことだと信じて疑うことがない時期がありました。これこそが人生だと感じようとし迷いを直視しないで生きていたように思います。ブータンという国に出会ったことで立ち止まり、生き方の見直しをすることが出来ました。

 うちのオフィスにはガイドをして貯めたお金で、村のお母さんに乳牛を買ってあげたという青年がいます。こういうお金の使い方が素敵だなと思ってしまうのは、私の勝手な思いなのでしょう。年老いたお父さんやお母さんも、心底ティンプーに言って暮らしたいと思っているのかな?と、かんぐってしまうのも、外国人妻の独りよがりなのでしょう。だけど、メモリアル・チョルテンに集うお国訛りの人の輪が、毎月毎年、膨らんでいくのを見るにつけ、ブータンはどこへ行こうとしているのかと感じてしまいます。

 しかし、そんな勝手な外国人の思いなどふきとばす思いと力が学生のスピーチにはあるのも本当です。優勝したドルジ・ワンディのスピーチの一部をご紹介しておきます。本人が書いたままです。

 わたしはガイドになりたいですから日本ごをべんきょうします。ガイドになったらいろいろなひとをたすけることができます。ガイドになっておかねをもらってそのおじいさんとおばあさん*をてつだいます。そしてりょうしんといろいろなひとをてつだいます。みなさんもいいひとになっていいしごとをもらってたくさんひとをてつだってください。
 さいごにかぞくはかみさまとおなじですからかぞくにさからわないでください。そしてそんけいしててつだってください。そしてらいせであえるようにおいのりしましょう。

*そのおじいさんとおばあさん:ドルジがティンプーで知り合った家族に見捨てられた孤老たち。

文責 青木 薫

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>