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本当の貧しさ
1年ぶりにブータンに赴任する前日、飛行機の乗り継ぎの関係上、タイのバンコクに一泊した。タイのバンコクは横浜に匹敵するかの大都市で、町の中心部にはブランド品を売る店や大型百貨店が見ることができる。そして町の至る所にコンビニエンスストアの看板や外資系企業の宣伝広告を見かける。
バンコクはアジア近隣諸国に向かう際には便利な場所で、良く訪れるのだがここ数年バンコク市内に乞食の姿を多く見かけるようになった。1997,8年に旅行で訪れた際にはほとんど見かけなかったのだが、今では繁華街の至る所に乞食が居る。タイ東北部を中心に起こった田畑の塩害により、都会に出てこざるを得なくなったのだとタイ人の友人は教えてくれた。
話は変わるが、ブータン人は自国の豊かさを表すのにたとえでこういう表現をすることが多い。「アフリカは101もしくは001だろう。ブータンは1111だよ。この意味を君は分かるかい?」とブータン人の友人は私に聞いた。無論分かるはずも無い。友人は続けた。
私たちが一般的に「貧困」と聞くと飢餓で苦しむ人たちや、戦争で家屋を失った人を思い浮かべてしまう。それだけではなく、経済学者のアマルティア・センは貧困の定義の一つとして選択の自由が無いこととしている。人間が人間らしく生きられない、このことは人間性の観点から見る貧困状態である。人がお互いを尊重して生きられる社会は、少なくとも貧困を感じないだろう。
以前日本で頭が悪いことを湾曲に言う言い方で「発想が貧困だなあ」と言ったが、その発想を支える、発想を自由に行える状態が自然であり、言論統制やメディア規制、極端な階級社会などはそうした発言や発想を妨げる要因の一つであり、貧困状態を招く一因でもある。社会全体が重苦しく、自由な発言を受け入れる余地の無い場合は、いくら物質的に豊かであっても「人生の豊かさ」を感じないのではなかろうか。
ブータンという国は国民総幸福度(GNH)を国の発展の指標として用いている稀有な国である。GNHは一説には「貧困の容認ではないか」とか「国民に強いるイデオロギーである」との批判もある。
KJ法で有名な東工大名誉教授の川喜田次郎先生がヒマラヤの民との交流の経験上、おっしゃっていたコメントがある。「人間にとって一番の喜びは創造力である。創造的な行為が出来る喜びは何にも勝る。」
話は変わるが、ブータンで暮らしていると、魚を食べる機会がほとんど無い。しかし、日常生活で刺身や焼き魚のにおいや視覚的に刺激を受けることが無い為、欲しいとは思ったことが無かった。無いことが当たり前で現地在住の日本人は皆同じ状況で、仕方ないことと考えていた。
海外で生活をしていて感じるのだが、日本もいわゆる形を変えた貧しい状態ではないではないか。確かに物質的には豊かになったかもしれないが、人と人とのつながり、家族関係の希薄化、人の個性が尊重されていない状態など、どれをとっても「豊か」とは言えないのではなかろうか。今こそ本当の幸せを一人一人が考え、社会を変えていく絶好のタイミングではないでしょうか。
文責 平山修一 |
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