~GNHの根本をなすもの~ 平山修一

 ここ数年、 GNH は様々な場所で脚光を浴びている。経済発展で言えば先進国よりはるかに貧しく、マラソン選手に例えるなら「一周遅れのランナー」の小国発のこの思想は、未だかつて先進国が考えもしないことであった。

 とはいえ GNH の考え方は比較的新しい。まだまだその理論的な枠組みは確立しておらず、今後どのように具体化するかは今後の研究にかかっている。その GNH の発端となったのは小国の国王の以下の発言からであった。

 Gross National Happiness is more important than Gross National Product

 これは 1976 年(昭和 51 年) 12 月、スリランカのコロンボにおける第 5 回非同盟諸国会議に出席後の記者会見席上での、当時 21 歳(国王就任 4 年目)の現国王の言葉である。

 この発言は 1997 年(平成 9 年) 4 月 19 日付の毎日新聞の記事に、毎日側の質問に対して書面で回答された、国王の考え方に詳しく述べられている。

 当時若き国王はこの書面の中で、国民総生産( GNP )と国民総幸福度( GNH )は同様に大事であるとの見解を示している。

 次に GNH が国際的に評価を受けた最初の出来事は、 1998 年の 10 月 30 日から 11 月 1 日まで、 韓国ソウルで行われた国連開発計画( UNDP )のアジア太平洋地域会議( Millennium meeting for Asia and the Pacific )の席でのスピーチであった。

 当時のブータン王国首相、ジグミ・ティンレイ( Jigmi Y.Thinley )は席上、「 Gross National Happiness はブータンの開発における最終的な目標である」と述べた。加えて 「私達は私達に基本的な事を問う、どうやって物質主義と精神主義とのバランスを維持しつづけるか」 と、先進国の示す発展型に対して大きな議題を投げかけた。

 これは簡単に解釈すると、「先進国に対しては経済成長だけがグローバルスタンダードではないと訴え、途上国には開発や援助による国造りが必ずしも万能ではないのではないか、人々が貧しくとも心豊かであればそれなりの幸福感のある社会が実現できるのではないかとの問題意識を投げかけている」と言い換えられるのではないであろうか。

 現在の GNH に関わる論議はこの 2 つの発言が基本的な定義となっている。また言い換えれば、この2つの発言こそが GNH を全て言い尽くしていると言っても過言ではない。これらを如何に考察し、今後の理論化に生かすかが本ホームページの研究テーマでもある。

 ちなみに GNH の「幸福度」についはブータン国王の以下のような発言がある。

 1989 年(平成元年) 10 月 25 日付けの読売新聞のインタビューに対して、国王はブータン国民の幸福度を測る物差しとして、以下のように語っている。

 「幸福度を測る物差しとして例を挙げるとするならば、例えば 5 年、 10 年ごとに自分達の暮しを振り返った時、少しずつ良くなっていると国民の多数が考えるかどうかである。」

 同紙は、ちなみにこの発言を、外界を知った国民意識の変化の事情を十分知ったからこそ「横ばい」ではなく「少し上向き」の暮しを幸福の条件として揚げたのだろう、と分析している。

 

参考文献

山本けいこ『ブータン 雷龍王国への扉』、明石書店、 2001 年

Lyonpo Jigmi Y.Thinley ” Gross National Happiness and Human Development ” Gross National Happiness, The center of Bhutan studies, 1999

青木公「世界の街角観察 ブータン」『外交フォーラム』 2000 年 9 月号、 92 頁。

 

文責 平山修一